2015/02/12

カーニヴァルは何処から?

リオのカーナヴァル
ブラジルで生活を始めて半年。
ついに、念願のリオのカーニヴァルを観れるときがやってきました。
実はカーニヴァルについての知識があまりなかったので、この機会にいろいろと調べることに。
せっかくなのでブログに書きたいと思います。


カーニヴァルとは?
ポルトガル語ではカルナヴァルと発音します。
ただ騒ぐだけのお祭りではありません!笑
キリスト教徒がキリスト復活祭(*1)から数えて前40日間に我を振り返り、お肉(鶏肉は含まない)を断食するという習慣がありました。実際は、復活祭の46日前の水曜日からスタートし、その直前の土曜から火曜日にご馳走をたらふく食べて、盛大に騒ぐと言うお祭りなのです。
こんなことを知ってしまうと、キリスト教徒でない私が参加していいのだろうか・・・なんて真面目に考えてしまいますが、今日ではカーニヴァルはブラジルの象徴的文化になっており、世界中から観光客が訪れます。それに、今では断食をするのは一部の人だけで、キリスト教徒の友達もカーニヴァル後も普通にお肉食べています。
中にはカーニヴァルが嫌いで、海外に旅行する人もいますから、ブラジル人全員がカーニヴァルを重要だと思っているわけではありません。
ただ、カーニヴァルが終わった後、街がなんとなく静かになる事は間違いありません。
ちなみに会社(一部を除く)も学校も休みです。

*1) キリスト復活祭・・・十字架にかけられて死んだキリストが3日目に復活したことを祝う、キリスト教徒において最も重要な日。復活祭の日にちは「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」で、年によって日付が変わる。ブラジルではポルトガル語で「Páscoa」と呼ばれる。

ブラジルにカーニヴァルが持ち込まれたのはポルトガル植民地から独立する前で、エントルードという非常に狂暴なお祭りでした。
黒人奴隷たちはこの時ばかりは重労働から解放され、顔に小麦粉を塗り、大騒ぎをしたそうです。いわゆるガス抜きのような役割も果たしていたみたいですね。
カーニヴァルは小麦粉、生卵、水、時には泥などをかけあうものでしたが、次第にエスカレートし、暴行事件などが多発。禁止になったそうです。
エントルードを書いた絵
1840年頃より白人たちはポルトガル流の仮面舞踏会を行うようになります。演奏されていた音楽はポルカやマズルカでした。1850年にはヨーロッパ風のパレードを行っています。
一方で、舞踏会に入れない貧しい人達を中心にコルダォンと呼ばれるグループが結成され、やがて大規模なグループであるハンショが誕生します。
ハンショは比較的豪華な衣装だった!?
ハンショはテーマをもったパレードを行うため、今日のカルナヴァルにおいて重要な役割を果たしています。音楽はマルシャやマルシャハンショが使われました。1920年代にはマルシャは大流行。
現在もマルシャを演奏するグループ(バンダ)が沢山あります。
なので年表的にはカーニヴァルに使われる音楽はサンバよりもマルシャの方が先なのです。
管楽器が入り、道を練り歩くのが特徴です。
私も、観にいったことがありますが、とにかく人に揉まれるってこういうことか・・・ってくらい巻き込まれます。シャンパンや泡の出るスプレー、ビールなど浴びまくりました。笑
こちらは有名なバンダ、Banda de Ipanemaです。
実際はこの道を練り歩く方がブラジル人に馴染みのあるカーニヴァルかと。
土地によって演奏される音楽も変わります。



そして、のちに現れたエスコーラ・ジ・サンバの誕生が今日のいわゆる“リオのカーニヴァル”に続くことになります。
そのエスコーラ・ジ・サンバというのが、直訳すると「サンバの学校」なのですが、これは、最初に結成されたエスコーラのメンバーが出会った場所の前に学校があったことから冗談半分でつけられたという説があります。そのため、学校というよりも、コミュニティのような感じでしょうか。
私はエスコーラに所属したことがないのですが、人によればエスコーラと共に1年を過ごす・・・
つまり「カーニヴァル(サンバ)と共に生きる。」という人もいます。
そういう方を“サンビスタ”と呼ぶのです。
エスコーラについては次回のブログで書きたいと思います。